高倉山 願成寺
「明治維新発祥の地」と言われる山口県美祢市美東町大田(みねし みとうちょう おおだ)。
今から約150年前、長州藩の萩政府軍と高杉晋作率いる奇兵隊が戦った「大田・絵堂の戦い」の舞台となった地です。
その大田の町並みを眼下に望み、古くから地元の霊山として名高い高倉山の麓に建つ願成寺には、大陸から渡来したと言われる高倉三宝荒神さまが祀られています。
願成寺では、高倉三宝荒神さまに見守られながら、お寺本来の役割とは何かを自問自答し、人々が笑顔で共に生きる寺「寄添寺」を目指し、未来を共に発展するお手伝いが出来ればと考えております。
名称:高倉山 願成寺(たかくらさん がんじょうじ)
宗派:曹洞宗
本尊:釈迦牟尼仏
美祢市指定文化財:
木造毘沙門天立像(彫刻:鎌倉時代作)
絹本着色 不動明王二童子(絵画:室町時代作)
1980年 美祢市美東町大田生まれ
2004年 上智大学法学部国際関係法学科卒業
2005年 米ウエストバージニア・ウエズリアンカレッジ卒
2005−2007年 『A GROUP』ニューヨーク本社旅行部門勤務
2007年 帰国後、曹洞宗専門僧堂にて修行
2008年 願成寺「副住職」拝命
2013年 「お寺から日本を元気に!!!」をテーマに「寄添プロジェクト」開始
2014年 願成寺「住職」拝命
2015年 25年に一度の「御開帳大祭」開催
「アメリカ帰りの異色坊主」として、青空説法、繋命盆・送り盆法要、寄添ジャズ、ヨガ禅など様々な催しを開催。 県内外からの参加者は延べ500名を超える。
経歴
<新聞掲載>
・山口新聞各種取材&コラム全9回掲載
・朝日新聞『お寺の挑戦』特集記事掲載
・読売新聞『ヨガ×禅』取材記事掲載
<テレビ出演>
・NHK『情報維新!やまぐち』出演(「おはよう山口」内「アメリカ帰りの住職の挑戦」特集放送)
・山口ケーブルテレビ『かなとまきの部屋』出演
<講演・法話実績>
・山口県内曹洞宗寺院10ヵ寺以上にて法話
・宇部市 浄土真宗 西光寺様「お寺においでっちゃ」にて法話
・美祢市母子寡婦福祉連合会総会にて記念講演
・美祢市内田代台病院にて講演
・山口県看護連盟 宇部支部・山口支部・萩支部にて講演
・シェアさわなみ@宇部市 セントヒル病院にて講演
・県内中学校での講演:山口市内2校、下関市内1校 など多数
<坐禅研修> ・美祢市立大田小学校PTA活動など多数
メディア&講演
「人生の坂を、どう生きるか」
人生の旅路には自分で択べないことが多々あります。
予想だにしない事故や病気に遭うときもあります。
「なんで自分がこんな目に合わないといけないのか」
私自身もこれまでの人生の旅路の過程で、そんな想いを何度となく抱いてきました。
苦しむ私を救ってくれたのは、「歓宿縁~宿っている縁を歓(よろこ)んで生きる~」という師匠の言葉でした。
自分の人生に起こってくる「出来事」を、よっぽどの縁だと信じて、自分の人生への授かりものだと受け止めて、歓んで受け入れて生きる。
どうにもならないことは、逃げず、愚痴らず、歓んで、頂いていこう。
いかなる山坂が訪れようと、起き上がり、姿勢を崩さず、そこを正念場として受けて立つ。
それが禅の始祖 達磨大師が伝えた「七転び八起き」「坐禅の姿勢」で一生を生きるということであると信じます。
一人の禅僧として、自分の人生でこの教えを体現しつつ、ご縁ある方にお伝えしていきたいと思います。
願成寺住職 南 健司
住職
なお、三宝荒神尊像は秘仏とされ、平時は逗子の扉が閉じられ拝顔できませんが、25年ごとの三宝荒神祭(2/28)の日(次回は2030年)に扉が開かれ御尊像を拝む事が出来ます。
祀 高倉三宝荒神
高倉三宝荒神とは、大日如来・不動明王・文殊菩薩の三身の合化されたもので、五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・開運増長の諸願を成就し、特に農村にあっては五穀守護の尊神として信仰され、また不浄を忌み払うことから、家にあっては火の神・台所の神として、火の用心のために祀られています。
また、三宝荒神は、日本に於いては神仏習合の中から生まれてきたもので、私たちの生活を支える「火」・「水」・「土」を守る神様と云われ、一番身近な民間信仰の神様として信仰されてきました。
高倉三宝荒神の伝承由来は、推古天皇5年2月、朝鮮百済国の第3皇子である琳聖太子(大内家開祖)が、聖徳太子に教えを乞うべく来朝された折、平素から信仰されていた三宝荒神尊像をご自分の守護神として奉載して周防国多々良浜(現防府市)に到着され、一宇を建立し安置されたものと伝えられています。
その後、大内家11代 茂村公が吉敷郡恒富村(現山口市)の毘沙門山に自らが開基となって大内家累代の祈願寺である願成寺を建立した際、その祈願神として多々良浜(現防府市)から三宝荒神尊像が安置されました。
しかし、明治維新の廃仏毀釈により願成寺が荒廃した後は、一度は願成寺の本寺である泰雲寺(山口市鳴瀧)に三宝荒神尊像が遷座されましたが、これを嘆いた断泥萬鏡大和尚(泰雲寺独住1世)と退歩自看大和尚(願成寺復立開山)が、明治11年9月 龍華山と呼ばれたこの裏山に三宝荒神尊像を遷座し、地名を高倉山と改め、艱難辛苦の末に願成寺を再興されました。
その後は、毎年2月28日を大祭日となし、近郊市町村から多くの信者の参詣で賑わい、荒神信仰の霊地として今日に至っています。
願成寺 紋
願成寺の寺紋は、山口の基礎を築いた大内家の祈願寺であった歴史に因み、大内家の家紋「大内菱」を用い、ゆかりのあるモチーフを盛り込んだデザインとなっております。中心ではなく左に配置しているのは、日本の縮図として山口県の所在地を意味し、山口(西日本)から日本の活気を取り戻し、今後は世界への発信も視野に入れ、今までのお寺のイメージを覆し、ひっそりと且つ、しっかり存在する寄添寺「願成寺」としての発展を意味します。2013年製作。
【 2013年 山口新聞 掲載 連載コラム「東流西流」全9話 】
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